花のある生き方
「あなたには花(華)がある」
言われたことあります?
言われてみたいですよね~(^^)
意味としては、「言葉に表せない魅力」といったところでしょうか。
いますよね、何とな~く魅力的な人。
何なんでしょうか、あの魅力は。
今回は、能の大成者である世阿弥がその著『風姿花伝』で後世に伝えた「三つの花(華)」から「花とは何か」について考えてみたいと思います。
誠の花
世阿弥は12歳の時、時の最高権力者である室町幕府3代将軍・足利義満に見いだされ、周囲から絶賛され始めました。
この時、一見すると花が咲き誇っているように見えたが、それは「誠の花」ではなかった。世阿弥は言います。
10代・20代の頃は誰もが若さゆえの美しさ、いわゆる「時分の花」を手にしてる。ただその花は、自分の力で会得したものではない「いずれ失われる仮初の花」だ。
世阿弥は、続けます。
しかし、本当に優れた技や人格を備えている者は、年を老いたあとも花が残っている。その花こそ、「誠の花」というべきだろう。私は確かに、父・観阿弥の演技の中でそれを見たのだ。
しびれますね。
若い時に自分がチヤホヤされたことを謙虚に受け止め、年をとった父の姿から学ぶ世阿弥の言葉には重みがあります。
秘する花
もうこの「秘する花」っていう言葉そのものがオシャレです。
世阿弥が使うと余計にカッコ良く感じてしまいます。
これは、有名な次の世阿弥の言葉からきています。
秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず。
(秘密にすれば花になり、秘密にしなければ花にはならない)
もし、自分の手の内(心の中や考えも含む)をすべてさらしてしまったとします。
すると、相手は自分のことを「めずらしい!おもしろい!」と感じるでしょうか。感じないという人がほとんどだと思います。世阿弥は相手のためにも、どこに自分の花があるかを自覚し、意図的にふせておくことの大事さを強調したのです。
自分も「秘する花」でいたいです。
因果の花
最後は、仏教の影響を強く感じる「因果の花」です。
世の中に起ることには、必ず原因と結果がある。良い結果を出したければ、その原因をよく見つめなければならない。ただ、時の運というのも、結果に重大な影響を与えるということを心得ておかねばならない。
理性で原因を追究する基本姿勢と運を含めた柔軟な捉え方や対応を説いています。さすがは世阿弥さま。
なぜ、世阿弥は「花」という言葉を使ったのでしょうか。
それは、能や人生は「花」と同じだ、という考えによります。
「花は必ず散る。永遠には生きられない。しかし、散るからこそ、そしてまた咲くからこそ、たまらなく面白く、そしてめずらしいのだ。」
最後までオシャレ💦
世阿弥から「花」を学び、花のある人生を歩みたいものです😊